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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

リリー・ブーランジェの詩篇24番

詩篇24番は、原詩はイスラエル王朝時代につくられたと考えられている祭典的な詩篇。神の前に立つべき人のあり方と、栄光の王なるヤハウェへの賛美。神殿への入場典礼に擬して歌うとあります。

訳は、旧約聖書翻訳委員会のものだと、
地とそれに満ちるものは、ヤハウェのもの、
大地とそれに住むものらも。
まことにかれが、海の上にそれを築き、
潮の上にそれを据えたのだ。
「だれが上るのか、ヤハウェの山に。
 だれが立つのか、かれの聖なる場所に」。
「両掌(りょうて)が潔白で心が清く
 虚しいものにおのが魂を挙げず
 欺瞞のために誓うことのない者。」
 彼は受ける、ヤハウェから祝福を、
 正義を彼の救いの神から。
 これこそ、彼を求める族、
 ヤコブの神を尋ねる者たち」。



「門たち、頭を挙げよ、
 とこしえの扉たちよ、挙がれ、
 栄光の王をお通しせよ。」
「栄光の王とは、だれか」。
「力ある勇士、ヤハウェ、戦いの勇士、ヤハウェ」。
「門たち、頭を挙げよ、とこしえの扉たちよ、挙がれ、
 栄光の王をお通しせよ」。
「栄光の王とは、そもだれか」、
「万軍のヤハウェ、かれこそ、栄光の王」。


まあ、わかりやすい詩であるし、リリー・ブランジェも素直に音楽を付けています。トランペットに関しては、スペクタル映画のようにド派手に高らかに鳴らしているのが特徴。この詩篇に付ける音楽としては悪くはないのですが、私のようなひねくれ者としては、ショスタコの4番のような、なんじゃこれはというような意表をつくマーチで始まってほしい気がします。でも、そこはそこ。敬虔なカトリック信者であり、まだ20歳。音楽がとても純なんですね。このようなオーケストレーションにした気持ちはよくわかります。

さて、問題は、詩篇129番の方で、これは難解。音楽の方は、難解ではないのですが、詩篇の方が、なんかダダイズムの詩のようで、あちらこちらが分裂しており、人間のいやらしさもたっぷり。このわけのわからない詩篇129番で何を表現しようとしたのか、ちょっと探ってみたいですね。
 
ということでこれは次回に。
by ralatalk | 2007-09-14 00:08 | 音楽エッセイ