音楽家として何を表現するのか
2007年 06月 21日
バイオリン君と遊んでいる方がおもしろいということもあるのですが、そろそろね、やっていかないと。
実は頭の中に何曲かは存在しているのですが、これを完成させていくのが少し苦痛。モーツアルトやショスタコみたいに頭の中で完成して、後は紙に出力するだけという風になっていれば、良いのですが、なかなかこんな芸当はできません。むしろ、こんなことができるくらいならプロを目指していたところですどね。
プロ作曲家になれば、質はともかくとして、常に頭の中に数十曲くらいはあって、クライアントの要望がありしだい、即座に譜面にするという芸当ができなければ到底やっていけないし、時間単価も安いのでしょうから、数をこなす必要があるということでしょうね。それでも食べていけるかどうか。映画音楽、ゲームミュージック、アレンジ物、CMとかジャンルはあれど、なかなか過酷な職場と思います。
ましてや純粋なクラシック音楽の作曲で食べていけるような人は、この日本でなくとも、世界でもほとんどいないのではないかという感じです。
最近、楽譜店へ行って、邦人作曲家の有望若手作曲家はいないのかなあとみてみたのですが、作品の数もないし、質もかなり低い。なかには落書きみたいな楽譜もあって、恥ずかしくないのかなあというものもありました。たぶん学校の先生から、個性的な作品を書くようにと言われての結果でしょう。あまり変な楽譜だと演奏者もやる気を失ってしまうでしょうにね。
方向性は間違っていないとしても、音楽は進化しなければならないという、わかりやすい命題から離れて、意義を見出すのは難しく、言葉にならず。たまに公園とか駅前とかで、ギターをもって自作曲を歌っている人たちは、なんだかうらやましい。このレベルの音楽でよいのなら楽なのに。単純なメロディにコードブックからとってきたハーモニー。陳腐な伴奏と適当な歌詞とフレーズの単調な繰り返し。メロディを変奏したり、音域を変えるためのちょっとした洒落た転調や、リズムを変えてみたりすれば、もう少しましになるのか。いや、いや、これでもダメ。音楽を使って何を表現したいのかという土台がしっかりしていなければ、何にもならない。
これはクラシック作曲家としてもおなじこと。前衛を気取っていて、他の前衛作品から手法をいろいろとパクッて音楽を組みなおしているだけの人たちなんてたくさんいらっしゃいますからね。
表現する。何を表現する。ここが重要。
武満は、竹藪の中を吹き抜ける風を表現した。ドビュッシーは音の空間の広がりを、シェーンベルクは人間の複雑な情念を、バルトークは民族音楽の普遍化を、ストラヴィンスキーは、リズムのメカチックな運動を文明と対比させながら、ショスタコは、体制下における民族の苦悩を表現した。
さて、さて、この21世紀に何を表現するのか。
エコロジー、ナノテクノロジー、ユビキタス、携帯電話、地球温暖化、惑星探査、テロリズム、高齢化、年金問題、自殺、食糧難、貧困化、幼児虐待、移民問題、憲法改正、水害、旱魃、北朝鮮問題、核開発、学級崩壊、うつ病問題、セキュリティ問題、医療費問題とテーマはたくさんあれども、音楽がそれらのテーマにどう向っていくかは難しい。
難しいとからと言って、自分でテーマ探しもできなければ、音楽は単なる国家、企業や各種団体のプロパガンダのお手伝い役にしかならない。わかりやすくいメロディ、楽しいリズム、笑い、あるときは悲しみを、ほとんど押しつけのように表現していく。それが悪であろうと正義であろうとも。
最近、バレンボイムのドキュメンタリを見たのですが、ここに音楽が何をやれるのかという回答を見つけたような気がします。結論的には、音楽は何もできない。メッセージをこめて演奏するという行為にこそ意味があるということ。これを命をかけて、実践した若い演奏家たちと、バレンボイムの勇気には、見ていて涙がながれました。おそらく、このドキュメンタリは、すべてのクラシック音楽家が見ておかなくてはならない史上最高のものです。DVDも出ているみたいなので、興味のある方は私に騙されたと思って、購入してみてください。
音楽の真実がそこにあります。
(購入時には日本語字幕があるかどうかは注意)
「クラシック・ドキュメンタリー・音楽は民族を越えて」
~パレスチナ自治区でのラマラ公演
●追記:
私のちからでは、このドキュメンタリの説明を書くのは無理ですし、内容を汚したくないので書きたくもありません。詳しいところは、ジャーナリストの江川紹子さんが書いてくれています。ただし、先に解説なんか読むと感動が薄くなってしまうので、だまって見ることを強く推奨しておきます。ドキュメンタリの進行のひとつひとつがキラキラと光る命ですから。
私は、真剣なバレンボイムの表情の中に聖者をみました。シュバイツアやクライスラー、フルトヴェングラー、もしかしたらそれ以上なのかもしれません。
まあ、こんなのを見てしまうと、西洋音楽の懐の深さに、ただただ頭を下げることしか私にはできません。