壮絶なる第6番。「奇跡の価値は?」
2007年 04月 17日
60分間......。うむ、何と言うか、もはやこれは.......。
(しばし絶句)
曲は、ショスタコの8番の出だしと良く似ていますが、理路整然と悲劇描写を積み重ねていく、インテリなショスタコと異なり、ペッテション様は、猛烈に性格の悪いヤクザなお客さん。私は、この人にからまれている可愛そうな居酒屋の店員。何か因縁をつけるためにキョロキョロ店の中を見渡すペッテション様。。目が据わっていて怖い。あっと、ついに見つかったかと思いきや、「おい。こら~」と机を蹴飛ばして戦闘開始です。
さあ、惨劇の始まりです.....。
最初の30分間は、苦情、怒号の嵐、ひたすら謝るしかありません。あとの20分間は、お客さんが泣き崩れての恨み節。この恨み節は、スペインのフラメンコ風。フラメンコといえば、何か優雅なものと勘違いしていらっしゃる人もいるでしょうが、本場の庶民のフラメンコは、暗いよ~。浪花節ともよく似ております。
この間、なんどか、助けを求め(=CDを止めること)ようとしたかわかりませんが、
「逃げちゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だ。」
というシンジ君のような心境で、音楽を聴き続けて、
「残り10分。あと10分ですよ。転調(店長)~!。」
と意識が朦朧とした中、CDデッキの数値を眺めていると、突然に神が光臨してくるではありませんか。
これは美しい。バッハのマタイ受難曲の終曲、ブルックナーの9番アダージョ、マーラーの9番のアダージョ、オネゲルの2番の終楽章をも超える究極の音楽が流れ出します。ついでに、フランダースの犬の最終回も思い出してしまいました。このときは、確かグノーのアベ・マリアでしたかね。
この壮絶というか、すべての音楽のなかでも最も過酷な音楽の果てにこの世界が待っていたのですね。これこそが「奇跡の価値は?」といった筋書きのないドラマです。不覚にもここで涙が.....。
ひたすらに美しい。でもここで、終わってしまうようなペッテション様ではありません。
「ここで、ここで止めておけば、究極の交響曲として、名を残すことができるのに、何ゆえにあなたは火の中に飛び込んでいくのか。」
「あなたは(その異常さにおいて)、ブルックナーやマーラーやショスタコに勝ったのですよ。それなのに。なぜ?。いかないで~。」
という声を後にして、ターミネーター:ペッテション様は、燃え滾る溶鉱炉の中に沈んでいくのでした。
ここで指揮者が倒れ、観客が一瞬の沈黙。そして悲鳴。(←これは脳内エコーですが)
(しばし絶句)
交響曲第5番は、3回も聴く元気があったのですが、この曲は、もう1度、聴くことできるのか。心のすみに悪夢の想い出としてとどめておく方がよいのか。勇気が必要です。
それでも、ライヴでどこかのオケがやるとなるとかならず行くでしょうね。
そのときは、ホール係の人は、どんなに客がさわごうと、泣こうと、悲鳴を出そうと、曲が終わるまでは絶対に外に出してはいけません。
(しばし沈黙)
この後で、ティータイムにして、おもむろに、お気に入りのシャルル・ド・ベリオのバイオリン協奏曲8番(勝手な通称:鉄腕アトム協奏曲)を聴く。ふう~。なんて元気がよくてたのしい音楽。これはいつもよりも10倍は美しい。紅茶がうまい。ペッテションの後のド・ベリオはとても良く合いますね。
次は、いよいよ傑作の7番と最高傑作の8番です。
5番がサイヤ人モードとすると、6番はスーパーサイヤ人モード。この悲劇と哀歌の抱き合わせセールスマン:ペッテション様は、いったい、どこまでの高みに登ることができるのか、大いに期待するところです。