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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

バイオリニスト兼作曲家 その2

前回の続きです。

6.アンリ・ヴェータン

 ベルギーのバイオリニストにして作曲家。家は貧しかったのですけど、幼いころから天才だったらしくベリオに見いだされ、無償で指導してもらえてかつオランダから奨学金をもらって12歳で卒業。海外の演奏旅行へ、各地で絶賛される。ウィーンへ行ったときにベートーヴェンのフィデリオを聴き感激。またクロイツェルソナタもこの時、聴いて「クロイツェルはもう一度ウィーンに戻って来て、この音楽の神様の前にひざまづいて許しを乞うべきである。」と語ったそうです。あのパガニーニにも会っていろいろと助言してもらったらしい。かなり充実した音楽活動をしていたんですけど、52歳のときに脳出血で倒れ半身不随に。回復の途中にあったのですけど、馬車に乗って旅をしている途中で投石に会い重傷。それが原因で死亡。
 ヴェータンは、オーケストレーションに自信がなかったので、毎日のように演奏者のそばに座ってオーケストラの個々のパートを調べ、時には彼らと議論し楽器のテクニックを学ぶ。それ故にかなりの腕前になったそうです。後にあのベルリオーズに大きな影響を与えることになったそうです。すごいお人です。
 晩年は、バイオリンが弾けなくなったので、生徒虐め?なことをやっていたそうですけど、弟子のイザイからかなり尊敬されていて、イザイはヴェータンの葬式のときに馬車の霊柩車に恩師のバイオリンと弓をのせて運んだらしい。でもイザイも国葬されるときにバイオリンを載せた馬車で最後を迎えているのですね。
 愛器は、ガルネリ・デル・ジェスの軍馬。この愛器をカンポセリーチェ大公から売ってくれないかと言われたときに「2万フランなら」(当時の相場は1万7千フラン)と売る気もないのに言ってしまう。「じゃあその値段で」とあっさり小切手を切られてしまうと、子供のような泣きじゃくってしまう。娘さんがこれをみて大公に断念してもらうように頼み込んで許してもらう。なんかわかるような気がしますね。

7.ヴィエニャフスキー

 ポーランド最大の凄腕バイオリニスト。ヴェータンの後任でブリュッセル音楽院の後任となる。彼のバイオリン協奏曲は、コンクールの課題曲の常連なので有名ですよね。アメリカの演奏旅行を伝説のピアニスト、アントン・ルーヴィンシュタインと一緒にやった。かなりの過酷なスケジュールだったらしく二人の仲はかなり険悪になる一幕も。でもおかげで大金持ちになる。しかしながら、大酒飲み、博打好きな豪快な性格だったらしく、稼いだお金は全部使ってしまうし、極度の肥満になり体調も悪くなり30歳代で心臓病、44歳の若さで亡くなってしまう。
 そういう生活をしていたので、すごいエビソードをもっています。
何と演奏中に倒れてしまって、それを見ていたブラームスのマブ達のヨアヒムが、楽屋に急行し、ヴィエニャフスキーのバイオリンをもってステージに登場。バッハの無伴奏バイオリンのためのシャコンヌを演奏し、聴衆が万雷の拍手を送った。その後、ヴィエニャフスキーがよろよろとステージに現れて、感謝の涙を流しながらヨアヒムと抱き合うという、何か映画のワンシーンのようなことがあったらしいです。
 ヴィエニャフスキーの功績としては、ロシア式運弓法と呼ばれている近代的なボーイングを確立したことで、後のアウアーなどに多大な影響を与えたことです。

以上、今日はここまで。
by ralatalk | 2005-11-20 10:08 | 音楽エッセイ