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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

吉松隆 対 フォーレ

ある日本の巨大掲示板に吉松さんのスレが立っており、興味本位にその中身を読んでみると面白いことが記述されてました。
それは、吉松さんが、ラヴェル先生やフォーレのピアノ三重奏曲に匹敵する曲が書けるのかどうかというものでした。まあラヴェル先生のそれは、先生の最高傑作の一つであるばかりでなく、クラシック音楽の究極奥義の一曲でもあるので、如何に吉松さんが、優れた作曲家と言えども無理ということで衆目が一致。ではフォーレではどうかということになって何とかできそうであるという人もいれば、無理という人もいる。



フォーレといえば、ラヴェル先生の恩師にあたり、有名なラヴェル事件のときには、真っ先にラヴェル先生をかばったのがフォーレ。後、ドビュッシーへの先駆となる独特の和声法でも有名。四六和音の使い方に天性の美学を聴くことができます。さて、この人の作品と言えば、レクイエムが有名で、私もこの曲は良く聴いたものです。個人的にはモーツアルトなんかよりはずっと出来が良いと思っているくらいで、これに匹敵するのは、トマス・タリスの「エレミアの哀歌」くらいでしょうね。で、他の曲を知っているのかいうとピアノの曲では、そこそこ聴いているのですけど、恥ずかしながら室内楽は、ほとんど聴いていない。

吉松隆 対 フォーレ_b0046888_21303032.jpgということで、フォーレのピアノ三重奏曲のCDを手に入れると同時に、矢代秋雄のそれも手に入れました。本当は三善晃も手に入れる予定だったのですが、お店にはなかったので次回まわし。代わりにおなじアキラということで西村朗のCDを購入。
さて、フォーレのピアノ三重奏曲を聴いて見たのですけど、う~ん、美しい。ちょっと目隠しされてドビュッシーの初期作品とか言われたら、間違ってしまうほどのフワ~としたやさしさを感じさせる気品の高い作品。さすがにフランスを代表する作曲家だけあって和声はすばらしい。
フォーレの場合は、アカデミズムの人ではあるけれど、素人ぽっさもほのかにあって、サンサーンス、イヴェールのような教科書ぽいイメージがないので自分的には好みです。素人ぽっさというもの大学の先生に対する言葉としては失礼かもしれないけど、このところが音楽を聴かせる重要な要素のような気がします。ドビュッシー、サティ、シャブリエ、プーランクにもそれがありますなあ。まあ、そういうところが無くて、ガシガシと書かれている作品は、法律書を読むような感じで疲れるんですよね。

で、この作品に対して、吉松さんが匹敵する作品を将来的に書けるのか?ということですが、何をもって勝ち負けを判定するのかは、音楽の場合、非常に難しいし、コンクールのような競技目的では音楽の本質とかけ離れた方向に行くため、やっても無意味。技法がいくら優れた曲でも後世に残らない曲は、いっぱいありますからね。

で、フォーレのピアノ三重奏曲を聴いたときに得られる充実感が、得られるかどうかいう視点かな。それでも人に大きく依存してしまうし、ドイツ音楽でがちがちの人が評価するのも難しいですしね。それに吉松さんとの比較となると現代音楽の響きそのものにもある程度慣れていないと、正確な評価が難しいですし。とは言え、これができるマニアや大学の先生だけで決めるのは、あまりにも笑止なことですしね。昔、タンスマンという作曲家が、大作曲家として有名だった時がありますけど、今となってはギター曲くらいという例がありますから。

結局のところ、100年後、レパートリーとして確立できるかどうかいう歴史に委ねられるということになりますという、誰でも出せそうな安易な結論を出すのは、話がおもしろくなくなってしまうので、次回にもう少し踏み込んで書いてみますかね。

追記:
フォーレに関しては、丸山さんのまりんきょ学問所のサイト内に情報が盛りだくさんありますね。勉強になります。(ガブリエル・フォーレの部屋

フォーレファーンは音楽を語れる人が多いですね。NOTAさんのエッセイは非常におもしろく読ませていただきました。(Jardin nocturne - Gabriel Faure
by ralatalk | 2005-05-16 14:20 | 邦人作曲家