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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

黛敏郎の音楽を聴く

ナクソスの日本作曲家選輯シリーズはずば抜けてすばらしい企画ですね。今まで知られていない日本人作曲家の作品を千円という廉価な価格で聴けるというのは画期的です。現代音楽のCDはとにかく高いので、さすがの私も購入には躊躇してしまう部分があるのですが、千円なら駄目で元々という感じでどんどん聴いて行けますからね。
さらに本企画の指南役は、日本史上最強の音楽評論家、片山杜秀なので、安心して購入できます。



片山杜秀は、他の音楽評論家がやっているような外国文献の無責任引用や音楽関連企業の太鼓持ちは一切していないというのも尊敬に値しますが、ライフワークである山田耕筰以降の日本西洋音楽史は、彼によってどんどんと明らかになって来ているのでこれからの楽しみにさせてもらっています。

さて、今回は黛敏郎の音楽ですが、黛敏郎と言えば涅槃交響曲という日本音楽史上の金字塔的作品があるのですが、他の作品は、あまり良く知られてないし演奏機会も滅多にありません。私は日本史上、天才的作曲家、もっと詳しく述べると自らが新しい技法を生み出す能力を持つ作曲家としますが、日本では高橋悠治、黛敏郎、松平頼則の3人だと勝手に思っています。更には武満徹はこれに入っていいし、三善晃もこれに加えても良いかもしれないですけど、前者は天才というよりは、音楽画家という感じだし、後者は、単なるこけおどしの音響クリエイターなのか、真の天才なのか判別不能ということで保留。松村禎三もこの中にどうしても入れたいのですが、地獄を見てきた生き証人という感じで天才というイメージから遠いですしね。近藤譲、この人も天才なのかもしれないが、どちらかというとアイデアマンで作品のスケールが小さい(これは作品の意図していることなので不満ではないですけど)。西村朗は、いい仕事はしているんですけど作品にカリスマ性が乏しいように気がします。吉松隆は、最初は天才だと思ったけれど今やその影もなし。矢代、一柳、尾高尚忠は秀才型タイプ。大澤寿人はカリスマを感じさせる作風ながらそのすべてが明らかになっていない。直感的には矢代を越える超秀才タイプだと思います。

天才という言葉からは、予測不能という要素が大事と考えているので、そういう意味で高橋悠治がダントツの天才かなあ。黛敏郎は、予測不能状態を予測するという物理学者のような天才力、松平頼規は、西洋音楽と日本音楽の妥協無き融合という点で奇跡的な天才力を発揮していますね。
で、今回の黛敏郎作品を聴いてみたのですが、う~ん、3回聴いて飽きてしまいました。残念。確かに良い作品で、ストラヴィンスキー、ラヴェル先生、ドビュッシー好きにとってはたまらないオーケストレーション、涅槃交響曲にあるような理知的な構成もあって楽しめたはずなんですけど、仕掛けやコンセプトが明快、完成度が高すぎるのも災いして、次を聴く意欲をそがれてしまうのが原因なのかな。なんとなくベートーヴェン的な押し付けが感じられるのも私的にはマイナス材料か。

そういえば、邦人作曲家で何回も聴いている作品、私の場合、吉松隆、武満徹、芥川也寸志、松村禎三、諸井三郎なんですけど何か足らないものを感じて、それを埋めたいと感じて聴いているとふと思ったりもしますが、ラヴェル先生、ドビュッシーに関しては、そういう要素はまるで皆無にもかかわらず、何回でも聴きたい。
この差は一体何なんでしょうね。子供心!?これかなあ。
by ralatalk | 2005-04-25 14:37 | 邦人作曲家