クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

カテゴリ:コンサート( 78 )

地震の後のコンサート

7月23日、東京で大きな地震がありました。このとき私は渋谷に居たのですけどまあいつもの揺れだなあということで、何も気にもしてなかったのですが、突然、大阪から母親から電話があって大丈夫かという安否を気遣う電話がありました。
「まあ大したことないよ。この程度はいつものことと」と説明しておきましたけど、帰りに驚いたことに、都内のほとんどの鉄道がストップする事態になってしまいました。
「なんだ、これは?」としばらく呆然としてしまいました。どうやら復旧にはかなり時間がかかるとのことで、映画をみるかコンサートに行くか考えて、ちょうど六本木行きのバスがあるというので、サントリーホールに行くことにしました。到着時間が19時半とコンサートが始まっている時間でしたが、半額チケットを手に入れて入場です。
 コンサートは偶然にも前回のプロメテのときと同じマエストロ井上と読売日響でした。名曲コンサートということであまり期待していなかったのですけど、何とシュニトケの作品があるじゃありませんか。う〜ん、これはラッキーです。でも名曲コンサートにシュニトケを入れる感覚がマエストロらしいですね。
 曲目は以下の通り。

指揮:井上 道義
■モーツァルト: 歌劇〈ドン・ジョバンニ〉序曲 K.527  →これは聴けず
■モーツァルト: 交響曲第40番 ト短調 K.550    →これは聴けず
■シュニトケ: モーツァルト・ア・ラ・ハイドン
■ハイドン: 交響曲第45番 嬰ヘ短調〈告別〉

このレベルのプログラムでB席7000円というのは高すぎる感じがしますが、途中入場なので3500円になりました。これだとまあまあの価格ですかね。

名曲コンサートにしては、地味なプログラムの感じがしますけど、シュニトケの曲とハイドンの告別には密接な関係があるので、こうしたプログラムを組んだマエストロになかなかの遊び心を感じますね。

シュニトケは結構、現代音楽の分野では有名な作曲家ですけど、作風が多彩かつ地味なので良くわからない部分のある作曲家です。今回のこの曲は、現代音楽の語法を多彩に使った「お笑い作品」です。これはちゃかしているわけではなくて本当にお笑いを目指した曲で、モーツアルトの有名曲と現代音楽をハイブリッドした曲、かつ演奏者が指揮者に追いかけられて舞台のあちらこちらを楽器を演奏しながら逃げ回ったり、演奏者が抗議の演奏に指揮者がたじろいだりと、何かチャップリンの無声映画をみているようで演奏中、観客も始終笑っていました。
 
 編成が変わっていて、真中にチェロ2とコントラバス1、舞台左側にバイオリン3、ビオラ1、舞台右側にバイオリン3、ビオラ1、指揮者の左右にバイオリン1ずつとなっています。真中のチェロとコントラバス以外は、演奏者や指揮者が舞台のあちらこちらを動き回ります。

次にハイドンの告別です。この曲に関しては、若かりし頃、聴いた記憶があったのですけど、もうすっかり忘れています。もちろん演奏会では初めてです。この曲は結構かわった曲で、演奏中に1人、2人とお辞儀をして演奏中に抜けていき、最後はバイオリン2だけになるという曲で、なぜこんなことになるのかは有名な逸話があります。

シュニトケの曲の場合は最後は指揮者だけが残るというものですけど、このときの照明の使い方がうまかったですね。プロメテをやってからマエストロ、照明付きがお気に召されたのかな。とにかく行っておもしろいコンサートでした。

最後にマエストロが舞台に立ち、「私たちは演奏会の途中で人が減り、お客さんは(地震の影響で)増えてくる。何とも不思議なコンサートでした。」とお別れの挨拶をしました。確かに不思議な日でした。

●追記:
ハイドンの告別に関する有名な逸話は、ヤマハのサイトにありますね。
名曲ガイドより
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by ralatalk | 2005-08-02 01:13 | コンサート
冷静になった状態で前回、記述していなかった曲目について書いてみようと思います。このコンサートはそれ程内容が濃いものでした。

●ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌

この作品は、前衛音楽の雛形とも言えるくらい多くの作曲家に模倣させてきたスタンダードともいうべき超有名曲ですが、私は今回初めて聴きました。本来ならずっと以前に聴いておくべき作品なんですけど、「広島の犠牲者」というタイトルに偽善的なものを感じてずっと避けてきました。広島の惨劇というのは、人類最大の過ちであり、すべてを失って途方に暮れている犠牲者に対して、この惨劇を再現するような音楽を聴かせてさらに犠牲者の心を傷つけることが果たして許されてよいのかという点でひっかかるタイトルの付け方であったからです。

反戦平和の音楽は、クラシックでも数多くあるのですけど、中でもシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」という作品においては、アウシュビッツに対する怒りを激しく感じることはできるし、オネゲルの交響曲第二番の最後のトランペットの祈りには、心の底から平和を望む声を聴くことができます。ただし、この作品の場合は、作った作品の雰囲気が広島の原爆の惨状に似ていたからこのタイトルにしたというのが見え見えの気がします。

ただ、こうした機会を与えられたのも何かの導きということで純音楽として真剣に聴くことにしました。実際聴いてみたところ、やはり予想していた通り、そこには広島の犠牲者に対するシンパシイをまったく感じられない作品ではありました。

音楽は、8分程度の弦楽合奏なのですが、非常に厳しく強烈なサウンドで異様なものでした。異様にしている技法的な要因は、52の弦楽器がすべてばらばらの音を奏でているという点と、拍という概念がないこと、それと微分音を使ったトーンクラスター、ボディアタック奏法、ハーモニックス、グリサンドなどの特殊奏法。まあ現在では常套手段となっている前衛音楽技法の大方が集結している曲ということもあって、現在聴いても斬新すぎるぐらいのサウンドです。

実演ではこうした音だけではなく、視覚的にもおもしろいものがありました。
まずは、指揮ですが、無拍子ということもあって指揮棒を使わず両手で曲中ずっとべつべつの指示を出しつづける。両手首をお日様きらきらとという感じではげしく振るしぐさなどがあり、ほとんど指揮というより祈祷という感じでしたね。今までいろいろ現代曲の指揮は見てきましたけど、これほど変わった指揮法はみたことがないくらいで、たぶん楽譜がすごいことになっているのではないかと推測されます。

あと、弦楽器のボーイングがぜんぜんそろっていない状態で演奏される異様さ。なんかヤマアラシを見ているような感じでした。

こうしたミスター前衛ともいうべき曲を聴いていると、前衛作曲家と言われる人たちが、最先端のことをやっているつもりで、この人の作品の後追いと焼き直しをやっているというのがよくわかります。1959年の作品なんですけど、前衛音楽という世界はあまり進歩していないのが現状ですかね。

※坂崎紀さんがホームページで「ワルシャワの生き残り」についてすごく良い記事を書いています。人間のこころの叫びを具現化した真の音楽の力というものがどれほどのものか、是非とも皆様も聴いてみてください。

シェーンベルク:《ワルシャワの生き残り》——良楽は耳に苦し

●武満徹:カトレーン

武満の代表作のひとつで尾高賞の受賞作品。メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の編成を意識した作品で、ピアノ、バイオリン、チェロ、クラリネットのアンサンブル付きオーケストラというような感じで構成されており、アンサンブルとオーケストラとの対比が非常におもしろい曲です。武満の考えは、アンサンブルとオケ対立させるのではなく、アンサンブルでやった音形が徐々にオーケストラに拡散するというイメージですかね。そういうことで、何か銀河の渦の中心から周辺へ、またはその逆に中心に音が集まるという感じがします。

今回の演奏は私の好みからは少し早いテンポではありましたけど、十分に聴き応えのある演奏でした。生演奏は初めて聴く曲なので、少し感じたことは、アンサンブルの音量バランスとオケ側の音量に差がありすぎるので、せっかくの効果が少し薄れて感じられたことです。これは演奏者が悪いという意味ではまったくなく、こうした対処としてPAを介在して、10%くらい音量カバーするという考え方もあっても良いのではないか思います。このところは、クラシックの人は相当いやがるでしょうけど、曲によってはそうしてもらった方が、作曲家の意図が明確になると思うのですけどどうなんでしょうかね。

※カトレーンの誕生秘話ということで、音楽評論家の東条碩夫さんがおもしろい記事を書いていらっしゃいますね。

もっと武満徹の中の記事(MOSTRY CLASSICより)
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by ralatalk | 2005-07-24 00:32 | コンサート
本日、読売日響の第440回定期演奏会に行ってきました。
曲目は以下の通り。

1.ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌
2.武満徹:カトレーン
3.スクリャービン:交響曲第5番<プロメテウス-火の歌> 照明演出付き

指揮:井上道義、ピアノ:高橋アキ

b0046888_035576.jpgマエストロ井上は、結構変わったプログラムを組んで楽しませてくれる指揮者ですけど、今回のこのプログラムは気合入りまくり、エネルギー充填120%ということで、まさにこのコンサートに来いと呼びつけられているようなもんで、おもわず会社を休んではせ参じることにしました。高橋アキさんの演奏も久しぶりに聴けるということで、これもまたうれしさ100倍です。
で、行ってきた感想ですが、これはものすごいコンサートでまさに歴史に残るようなすばらしいものでした。いつもは曲順に感想を述べていくことにしていますが、今回はプロメテが凄過ぎで、これで頭がいっぱいになっています。

プロメテというと音楽と色彩を合体させるという大胆な発想で有名で、色光ピアノといって音階に合わせた光を発光する楽器を指定しているのですが、残念なことにこれを使ったコンサートはほとんどやられたことがありません。今回も色光ピアノは使われていなかったのですが、その代わりにライトでハリネズミ武装したスタインウェイピアノがその代役を務めます。

マエストロ井上は、本気でスクリャービンの果たせなかった夢に挑戦するというのです。プログラムノートにはこうあります。

自筆のスコアの600余小節すべてにライラック色、鉛色、赤い閃光、さざ波のような月光の色、死んだような鈍い血の色、にんじんの色、緑の炎などなどを書き込んだコピーを見たとき、それこそ僕の頭に閃光が走った。「あっ、これは楽譜なのだ。台本なのだ。読むのはこちらだ。指示されたものの解釈は、こっちが(曲げずに?)しなくてはいけない」と思った。
 光は、どこに、どのような強さで、どうやって射すのか、前後の関係も、全部消えるのか、一部残るのか、まったく書かれていない。
 そのうえ100年後のこちらは、劇場の最新機能を駆使してやれるわけだ。スクリャービンは、あの時代では果たせない夢をみたのだ。

で準備は、どうだったのかというと、ステージいっぱいにサーチライトを並べ立て、各奏者の譜面台にライトをつけて、ステージの真上に白いどんちょをたらして、これに画像を映し出すしくみになっていました。

実践では、真っ暗なステージになり、徐々にうっすらとしたところでマエストロの指揮が振り下ろされたところで曲が不気味だが静かに曲が始まり、楽器にあわせて怪しげなライトの点滅、やがてピアノが出てくるところでは、ちかちかとライト点滅し、曲の激しさや曲の細かさにあわせて目がくらむほどの色の7色変化、青になったり、黄色になったり、途中でまったくぞっとするほどの血の赤になったり、まさに光に圧倒され、曲の細かさに圧倒され、観ているものは唖然とするしかありません。音楽と光の効果がこれほどすさまじいものとは、映画なんかでは実感することはあっても、それとはまったく次元を超えた闇と光と音楽の美しさと妖しさに開いた口が塞がらない状態になってしまいました。これは危険な音楽です。

マエストロいわく、「今宵一晩、皆様を骨抜きにしてみせます!」
まさに、そういう状態。マエストロとオケのメンバーにブラボー、まさにスクリャービンの望んでいた世界を再現できていました。高橋アキさん、まさにプロメテの化身! むちゃくちゃにかっこよかったですよ。

本当のプロメテの姿がこれほどのもんだったとは、凄過ぎます。こういう演奏会は是非とも再演してほしいですね。
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by ralatalk | 2005-07-20 00:01 | コンサート
先程、ずっと楽しみにしていた武満徹の「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」をNHKのテレビで観ることができました。でも何というか、これが本当の武満の世界なんですかね。武満の音楽を媒体とした日本人の生活の現状を表現した劇というか、フランス文化人好みの退屈な抽象性を取り込んだ三流映画ぽい作りにはがっかり。外人には日本人がこのような感じで捉えられているのですかね。テーマが人生というのであれば、もっともっと深堀できたような気がするし、日本の一流の映画監督とかアニメ監督かに演出してもらえば、もっとすごい世界を表現できたであろうに。演出のレベルの低さにはがっかりです。熊さんが出てくるのは、アニメのアキラの影響があるだろうし、お色気お姉さんが出てくるのは、これも庵野監督の撮ったキューティハニーとかの影響もあるんでしょうかね。ついでにトトロも出しといてくれという感じです。まあこんなところで愚痴っていても仕方ないですかね。日本人の世界は、日本人が作らないとね。
 まあ悪いところを指摘していても仕方がないとして、良い部分もあることはありました。それはファミリーツリーをフランス語で聴くことができたのと、演出もこの曲の場面だけは合っていたように感じます。
 武満が本当にオペラを作ることができたかどうか?作曲技法のバリエーションがかなり少ない人なので困難な作業になったであろうと思いますが、ファミリーツリーの延長線にある作品だとは予想できますね。
 このオペラを観ていてふと思ったんですけど、もしかしたら諸井三郎の交響曲第三番をオペラ仕立てに演出を加えてもおもしろいかなあ。戦争末期にほとんど死を覚悟した日本人作曲家の壮絶な苦悩というのがテーマとしてそそられますなあ。この時代、時局音楽を書かなくては殺されるかもしれないという極限の状態でしたからね。そこに橋本国彦や伊福部昭も加えてということになるとなお興味がそそられます。
 こういうオペラなら是非観てみたいものです。
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by ralatalk | 2005-06-20 00:50 | コンサート
ぴっころさんのフルートとハープのコンサートがあるということで行って来ました。
曲目は以下の通り。

1.ドビュッシー:小船にて
2.イベール:間奏曲
3.バッハ:シチリアーノ
4.ヘンデル:オンブラマイフ
5.モンティ:チャルダッシュ
6.フォーレ:即興曲Op.86(ハープ独奏)
7.マスネ:タイスの瞑想曲
8.ビゼー:アルルの女よりメヌエット
9.ボルン編曲ビゼー:カルメン幻想曲
アンコール:浜辺の歌

それにしても清里の下里しおん保育園チャペルコンサートホールというのは遠かった。会場がわからなかったため清里からタクシーで直行。なんとか開演までには間に合いました。まあ、その甲斐があってかコンサートの内容は、なかなか良いものでした。
今回、このコンサートに出向いた理由は、ハープの演奏が間近で聴けるということと、ぴっころさんの演奏が聴けるということです。でもほとんど、ハープ奏者の千田悦子さんの手の動きを中心に見ていて、ぴっころさんには悪いかなと思いつつ聴いていました。

ハープの生というのはオーケストラではよく聴いているのですが、室内楽では初めてです。第一印象は、思ったより音が大きく、サスティーン音が豊富なこと。このため余韻を手のひらで止める動作が演奏中しょっちゅう見られました。ときどき「キュイーン」という金属音がするのはこのためだったのですね。これには妙に納得。後こまめにチューニングしていたのが印象的。演奏していると音がわずかづつ狂ってくるのでしょうね。

休憩時間に前から気になっていた調弦について千田さんに質問してみました。やはり平均律で調弦するのではなく純正律を基準にして調弦しているとのこと。ハープの場合は開放弦がフラット系のD♭調になるので、これに調律していくとのこと。このため平均律の代表楽器であるピアノとは相性が悪い楽器であるとのことを教えてもらいました。なるほどね。実際、フルートの場合だとピアノよりもハープの方が合うと思っているのですが、ここにもその秘密があるのかもしれませんね。後、ハープの紹介コーナーでハーモニックスの出し方を見せてもらったのは非常に勉強になりました。ハープの場合、手のひらの腹の部分を軽く付けて弦を弾くとハーモニックスとなり、音も意外に大きい。このため作曲家にとってはいい素材になるのですね。

演奏の方もわりとポピューラの曲だったので楽しめました。ぴっころさんは今回は、すこし体調が悪かったのか高音域を出すのに苦労していましたね。でも音はいつもの通り太くて良く通る音でした。曲の合間での曲解説もおもしろく、ためになりました。
 演奏としては、イベールとフォーレ、カルメン幻想曲が良かったですかね。でも一番よかったのは、アンコールで演奏された浜辺の歌です。これはすばらしい編曲でマニアックな音の使い方。それでいて自然な音。日本でも名のある人の編曲だろうなあ。おそらく三善晃か、その筋のお弟子さんだろうなあと思って聴いていました。後でこっそり楽譜を覗かせてもらったところ編曲は野田暉行とある。なるほどね。ほほ~うという感じで納得。
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by ralatalk | 2005-06-18 21:29 | コンサート

バルトークのコンサート

東京交響楽団の第525回定期演奏会に行ってきました。
今回は、バルトークづくしということで、魅力的なコンサートでした。
曲目は、以下の通り。

1.ヴァイオリン協奏曲第二番
2.ヴィオラ協奏曲
3.管弦楽のための協奏曲(通称、オケコン)

秋山和慶指揮、ヴァイオリン/ヴィオラがシェロモ・ミンツ。

今回の目玉は、ヴィオラ協奏曲ですかね。ヴィオラ協奏曲はバルトーク最後の作品なのですが、ほとんどスケッチ状態のものから作曲家シェルリ、ヴィオラパートは依頼者のプリムローズが補筆して完成させているので、バルトークの作品といえるかどうかは微妙なんですけど、最近の研究成果を取り入れた新しい版が登場し、今回はその版での演奏ということです。
 バルトークの晩年と言えば、悲惨な状態であったので、最後のピアノ協奏曲第三番なんか私からみると「天才バルトークの作品がなんでこんな作品なんだ。」状態で、この曲を聴くたびにいたたまれない気持ちになってしまいます。「駄作」なんて言ったら「死者に鞭打つ行為」に等しいですなあ。でも最後に作るはずだったヴィオラ協奏曲の方は、如何にもバルトークらしい妥協無きスタイルの音楽なので、ある意味こちらの方がほっとする音楽です。
で、新版によるヴィオラ協奏曲は、最新のバルトーク研究の成果が如何なく発揮されていて聴いていて違和感がないどころか、なかなかの傑作。ヴィオラのミンツ氏もなかなか張り切った演奏でこれはよかったですね。ヴァイオリン協奏曲の演奏もよかったですけど、ヴィオラの方がむしろうまいくらいでしたね。

●追記1

サントリーホールは、ちょっと残響が多いホールなんで、後方の席で聴くとヴァイオリン協奏曲なんかだとヴァイオリンソロの音像がぼけてしまいますね。次回は、もっと前の席にしますかね。リバーブタイムを今の70~80%くらいにしてくれると良いのですけどね。

●追記2

東京交響楽団は、最近かなりうまくなって来ていますね。今回は過酷なプログラムだと思うんですけど、バルトークは楽勝という感じですかね。後、課題があるとしたらトランペット、トロンボーンのアンサンブルですか。ファースト、セカンド、サードと音量がそろってないし、弱音での音程がややフラットぎみ。まあ金管楽器の場合は、練習量が限られるので早急な改善は難しいでしょうけど。
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by ralatalk | 2005-05-29 02:26 | コンサート

ハンス・ロット

行かざるか、行くべきか。

なんせ「初演」という言葉を聞いただけでうきうき気分だし、あのグスタフ・マーラーに多大な影響を与えたといわれているハンス・ロットということで、これは絶対に行かなくてならんだろう。
人生は、初演との出会いがすべてだと日ごろ考えているので、
仕事の忙しいさなか、すべてをぶっちぎって、
ハンス・ロットの日本初演に立ち会ってきました。

海外有名オケのだらけ切ったプログラムが氾濫するなかで、マエストロ沼尻の渇を入れるような選曲の良さには、いつもながら感心してしまいます。こういう人には、もっと良いオケを振らしてみたい気がしますね。

結果は、作品としては二級品のように感じましたが価値ある実験作品。オーケストレーションがはちゃめちゃな部分と効果的な部分が混在しておりすごくおもしろかったです。

さてハンス・ロットという人ですが、さすがはマーラーが認める数少ない音楽家の一人です。この時代にこれだけの実験的音楽をやれるとはただ者ではないですな。というか、マーラーの初期作品は、ハンス・ロットとからパクリまくっているではないですか。
 20代前半でこれだけの才能を示せるのだから、もう少し長生きしていれば音楽史もかわっただろうに、ブラームスから酷評されたからといって、気がおかしくなってしまうのがあまりにも情けない。その点、マーラーもブラームスから嫌味な批判をされていますが、「あんた以上の音楽を書いてやる!俺様は天才なのだから」という気概があったので、後世に作品を残すことができた。
 この差ですなあ。作曲家たるもの自分を信じることができる者だけが生き残れるのです。「いつか私の時代が来る」というのはマーラーの残した有名な言葉ですからね。

 それにしてもうかばれないハンス・ロットですが、その音楽はマーラーによって完全に継承されているのだから、ある意味、歴史にその作品を残せた数少ない作曲家の一人といえるのかもしれませんね。
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by ralatalk | 2004-11-12 22:10 | コンサート

三善晃のコンサート

三善晃のコンサートがあったので会社を休んで聴きにいきました。
三善晃と言えば、武満亡き後、日本でNO.1の現代音楽作曲家であることは、その作品の質と量から言って間違いのないところなんですけど、どうも馴染めないというか、その本質が分からない作曲家の一人です。

曲目は、以下のとおり。

焉歌・波摘み(1998)
ソプラノと管弦楽のための「決闘」(1964)
レクイエム(1971)

作品はどれもすさまじい音響地獄で、地面から足を掴まれそうな恐怖に満ち満ちており、たまに何を思ったのか、ごちゃごちゃの音響の中から「ねんねんころりよ~」とかの民謡が怨念のような形で出てくるという、呪術的世界になっています。

この人の作品に関しては、正直よくわからない部分が多いし、好き嫌いというレベルで話すには、あまりにも音楽からかけ離れているような気がするのですね。テーマ的には「死」というものが常に意識されているのですが、その死に対する概念はかなり特殊なような気がします。
 例えば、今回の「スマトラ地震津波」のようなすさまじいばかりの破壊的状況をそのままドキュメンタリ風に描写し、そこに作者としてのコメントや思い入れはまったくなしという冷めた作風。「その情景について各人が考えよ」という聴衆をつきはなした作品が多いような気がします。
 スコアの方は、かなり緻密に書かれているにもかかわらず、打楽器の暴力的なサウンドによってすべてがかき消されているし、すごくもったいないような気もするのですが、それがあって緻密に描写する作風が生きているのかもしれないし、良い悪いのコメントも難しい状況です。
 ただ言えるのは、こうした音楽は、ただ圧倒され「すごい」の一言しか発生を許さないある種のマインドコントロール的音楽なのだということです。

私の考える音楽とは、作品を通して人それぞれにさまざまな考えを発生させる音楽なのですがね。今のところ私の音楽観からはかなり遠いところにある音楽ですね。
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by ralatalk | 2004-10-14 21:35 | コンサート