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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

亡き父のためのパヴァーヌ その2

父がなくなって後、お葬式をどうするかの家族会議がありました。
家族葬にするか、普通のお葬式にするかどうか、喧々諤々。最後は、弟が、

「お父さんの葬式は、こじんまりやるのは事実上不可能。いっぱい人来るでえ。」

という一言で、普通のお葬式にすることにしました。費用面でも、ほとんど変わらない。業者さんのお話によると関西での葬式は安いため、わざわざ東京の葬式を関西でやる人もいるとのこと。違いは、お寺への費用が大きいとのこと。



次にもめたのが戒名に付ける院号をどうするのかという問題。母曰く、

「お父さんには先祖代々から守ってきている院号があるらしい。この費用をどうするねん。」

院号?ナンスカそれは。ということで調べてみたところ、

『生前に寺院や宗派に対して、或いは社会的に高い貢献をした人に付けられるものである。本来ならば、院は皇族などが「寺院」などを布施した場合、その徳を称えて院号が送られる。』

とあります。でも、父が、寺院や宗派に貢献していた記憶がないし、そもそも仏に拝んでいる姿も見たこともない。無宗教主義者という格好の良いものではなく、日本人お得意の超ご都合主義。ちなみに院号の費用は、工業生産によるバイオリンの上級モデルが買えるお値段です。

「そんなもん、いらんであろう。」
というのが私の意見。弟は、母の望むままにとのことで、その件には関心がないらしい。母は、

「私の代で、院号がなくなったとなると、親戚筋に何をいわれるかわからん。」
と難色。ちなみに葬儀屋さんにたずねてみると、

「院号はお金で買うものです。」
ときっぱり。

私は、そうした名誉なものをお寺への貢献もなくてお金で買うというのが許せない。マルティン・ルターの宗教改革というのは、贖宥状問題ということで起こったのではなかったのですか。このような悪しきお坊さんのビジネスに付き合う必要なしと判断。さらに親戚筋に電話してみると、

「実は、院号を守っていくのは大変なこと。三男坊であるし、こだわる必要はないのでは。」

という進歩的なご意見だったので、院号は即刻廃止することにしました。

それにしても、仏式のお葬式は、あれやこれやとわずらわしい。7日ごとに坊さんを呼んで供養せねばなりませんし、初七日とか四十九日とか、イベントもあれば、7日ごとに坊さんを呼んで供養しなければならない。仏教では、亡くなってから次の生を受けるまでの間の期間、故人は成仏できずにさまよっているといわれています。その間、7日ごとに7回、閻魔大王により生前の所業を裁かれ、49日目に判決が言い渡されるといわれているので、それを応援するために祈祷するとのこと。

なるほどね。他の宗教ではどうなのかというとことで、キリスト教を調べてみると、人が仏になるという概念はそもそもなし。だから死んだ人に祈るのではなく、神に祈る。当然、初七日とか四十九日とかはなし。あるとすれば、1年後とか、2年後ごとに偲ぶ会があるだけ。
 閻魔大王による裁きに相当するのは、キリスト教では、終わりの日の1回のみ。神を信じるか、どうかで判断されるので、生前どんなに悪行や善行をしていても関係なし。神父さんが、最後にやってきたら、悔い改めをすればすべてが許される。閻魔大王がやっている日ごろの激務と比べればすごく簡単。

※↑こんな勝ってなことを書いていると後でお叱りを受けるかも。キリスト教の場合だって、パガニーニの埋葬のときは大もめしているのですからね。

 実際にキリスト教の葬儀について、葬儀屋さんにたずねてみると、費用面では安いとのこと。でも、教会に入ったら、年収の1割を寄付する義務があるらしい。またお金もちの人には、パイプオルガンを購入するとかで、別途寄付要請があるらしく、これが原因で家が傾く人も結構いるとのこと。関西の有名財界人の名がずらずら。

結局、これだとトータル費用が高くつく。仏教でもご寄付はあるでしょうけど、義務ではないので、ある意味、お葬式や供養で費用がかかるのは、仕方のないことなのかもしれませんね。

お葬式ビジネス。うまくできているものなんですね。まあ、寄付については、教会設備の充実、地域の活性化、貧民救済、教育関連、道徳教育、芸術家の保護とかの含みがあるので、これ事態が悪いというわけではないですけどね。
by ralatalk | 2008-10-14 18:03 | 生きる