クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

14番を「死者の歌」というなかれ

本日、ミッチーのショスタコ祭り、第5回目に行ってまいりました。
 今回から日本オケのターンということで、トップバッターは広島交響楽団。曲目は、9番と14番「死者の歌」。おっと、「死者の歌」というなかれとのミッチーからの指導がありましたので、お題目はどうしますかね。「死生観」とでもしておきますか。

 この曲、専門家からは、ショスタコの最高傑作との誉れが高い曲なんですが、滅多に演奏されることはないです。理由はいろいろとありますが、「死」を題材にしていることから退いてしまう人が多いということもありますが、オケの編成がかなり特殊。弦楽器、チェレスタと打楽器、ソプラノとバスという特殊編成の上に、舞台を見てびっくりしたのですが、編成がモーツアルトの交響曲より小さい。本当に交響曲なの??という感じです。
 そういうこともあってか、弦楽器にかかる負担はかなりのもので、演奏至難の曲の一つだそうです。ミッチーもこのことを解説していました。




 「死」。このテーマで扱った作品は、シューベルトの「死と乙女」、マーラーの「大地の歌」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」、シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」など、たくさん名作がありますけど、ショスタコのこの作品は現代人にとってもっと身近なテーマとしての死があるような気がします。

この作品、「死者の歌」という題名なので、死を賛美しているかも知れないと勘違いされがちなのですが、それとは、逆に「生き残れ」ということにあると思います。生き残るために、死を観察する。ショスタコは、死はまったくの終りで、神の救いはまったくないと考えていました。そのために生き残るための「死」というテーマがニヒルな現代人の思想とも共通するところがあるのです。
 
 死。不思議なもので、ショスタコからすればまったく幸せな日本国で、平成10年以降、毎年自殺者が3万人以上でています。ちなみに、レニングラードの攻防戦では、67万人が死んでいますが、日本国では、平成10年〜18年の間に、29万人が自殺の現状。これが美しい国日本の姿で、人の命も行革の前の塵に同じということですね。
 
 人間にとって「死」とは何かを冷静に真剣に考えることができるのであれば、この数はもっと減るはずなのです。特に、若い10代の諸君は、「若きウェルテルの悩み」に生きているのでしょうが、生きたいと思っていても運命にさからうことができなったソビエトという国のショスタコの時代を知ってからでも遅くはない。芸術は生きる灯火。死ぬ前にショスタコの音楽を聴いて、彼の熱いメッセージを聴いてほしいものです。
 いじめっ子なんて、スターリンから比べれば小者感バリバリなはずですから。
 
 交響曲第14番、死に対する思索のすべてがそこにあります。やはりこの曲は、CDではなくライブで聴いてこそ価値がありますね。この曲が気に入ったのならビオラ・ソナタも聴いてほしいですね。これは、ショスタコの生者に対するラスト・メッセージです。あのムラヴィンもこの曲を聴いて、涙したと聞いております。

●演奏について
 サンクトペテルブルク響のモチベーションありまくりの、ものすごい演奏を聴いたあとなので、広響には、分が悪いと思っていたのですが、この14番はすごかった。
 特に、ソプラノのアンナ・シャファジンスカヤの神憑りとも言える歌声には、しびれました。音量、音質、音程、ビブラートコントロール、ダイナミック、表情どれをとっても完璧に近いでき。それでいて技法におぼれることもなく、ショスタコの真実の世界を見事に再現。ミッチーのとっておきというだけのことはあって、おそらく現役ドラマティコ・ソプラノでも群を抜いていると思いました。本物の歌手には、どんな名人が演奏してもそれにかなわないと良く言われますが、まさにその典型。バスはバビヤールで歌っていたセルゲイ・アレクサーシキン。こちらもその気迫に負けない歌を披露。それにつられる形で、オケも引きずり込まれていった感じ。
 このお二方、重唱であわせるときは、ゼスチャもたっぷり、目もばっちり合わせていて、たがい相手の歌い方にあわせて、声色の表情を微妙に変化させつつも、自己は主張していたことも好印象。
 
ショスタコの世界にまた新たな1ページといったところです。
とてもすばらしかった。これはCD化されないですかね。
がんばれミッチー。まだ大曲の4番、8番、11番が残っていますですよ。

ショスタコの最高傑作は、いったい何番なのか、この演奏会で見極めたいと思っております。
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by ralatalk | 2007-11-18 20:15 | コンサート