プロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番
2007年 01月 04日
シューマンは、作風が渋すぎて、今一良くわからんというのが本音。でもシューマンのバイオリン協奏曲は良い曲だと認識しております。シベリウスもよくわからん作風なのですが、交響曲の第5番、第6番なら結構気に入っております。ただバイオリン協奏曲は何度聴いても?印で、私にとって最も難解な曲のひとつとなっています。
プロコの場合は、ストラヴィンスキーやバルトーク、シェーンベルク程の切れ味に乏しく、ショスタコのようなストーリー性も少ないし、小学校のころに授業で聴いた「ピーターと狼」という曲のイメージも悪く、なんとなく中途半端に聴衆に妥協する作曲家だなあと思っていたのですが、このモダニズムにあふれるバイオリン協奏曲第1番はかなりよいですね。
この曲に関しては、ソリストのシゲティの大のお気に入りで、自分の曲であるかのように頻繁に演奏会に取り上げたそうですが、その気持ちは良くわかります。近現代音楽のおいしいエッセンスが詰まっているような曲ですから。シゲティは、日本公演の折、プロコフィエフ死去の知らせを聞いて、急遽、この曲の2楽章を演奏したそうです。
※それにしても、ウィキペディア(Wikipedia)のシゲティの記事は、イケテませんね。もう少し中立的に記述する必要があります。『表現性の高い「下手な巨匠」』とはかなり誤解を生じる書き方です。近現代音楽のレパートリーを拡大したシゲティの功績についてはうまく書かれているのですけどこの稚拙な表現にはがっかりです。
吉見由子さんの書かれている内容は、立派なものですのでこちらにリンクしておきますね。
私は、2楽章よりも、最終楽章の第3楽章を気に入っており、これはクラシック音楽のなかでも最も天国に近い作品なのかもしれません。この楽章でおもしろいのが形式です。ベートーヴェンやブラームスのように論理的に無駄なく進行する音楽的な形式ではなく、自由な変奏曲といった風であり、かなり映画的な楽章です。画面が急に入れ替わったり、フラッシュバックしてくるところとか、ソロバイオリンをささえる弦楽器群が規則的なリズムを時折、遅くする瞬間などまるでスローモーションで映画を見ているようです。
そして極めつけは後半部に出てくる、ソロバイオリンに出てくる高速スケール練習の部分。「う~ん、これは反則でしょう」と最初は思ったのですけど、これだけ大胆にスケール練習が出てくると、もうこれはこれで立派な表現ですね。しかもバックについてくるオーケストレーションは異様に格好が良すぎるので、まるでバイオリン演奏の達人の天使が、水辺で優雅に練習をしているような感じであります。ここは本当に美しい。そういえば、このバイオリン協奏曲としては、初めてハープが導入されているとのことで、これが天使的イメージの創出に役立っているのですかね。
※これは少し怪しいので調べてみると、ヴェータンのバイオリン協奏曲では使われているようですね。
よくできた傑作です。それゆえにかハリウッド系の作曲家が随分とぱくりまくっているのがわかります。それだけおいしパッセージにあふれた曲なのですね。作曲家を目指す人なら研究してみる価値が高い作品だと思いました。
バルトーク、ベルク、プロコで近代の3大バイオリン協奏曲なのかもしれません。