クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

ストラヴィンスキーのバイオリン協奏曲

最近、よく聴いているのがストラヴィンスキーのバイオリン協奏曲です。

ストラヴィンスキーといえば、3大バレー音楽と兵士の物語、詩篇交響曲といったあたりが有名で、他は?と思っている人が多いと思います。後は、プルチネリア、3楽章の交響曲、ハ長の交響曲、マニアックには結婚というのもありますが、いずれにしても3大バレー音楽くらいの大傑作を期待して、プルチネリアや3楽章の交響曲なんか聴いてしまうとかなりがっかりしてしまうものです。それほど、作風の変化が激しいのがストラヴィンスキーという作曲家なのです。



でも現代音楽をたくさん聴いてきた人が、ストラヴィンスキーの新古典主義作品をあらためて聴いてみると、かなり新鮮聴こえるものだと思います。ストラヴィンスキーの新古典主義作品というのは、他の作曲家、たとえばラヴェル先生、ミヨー、プーランクあたりの新古典主義とは随分趣が違うように感じるからです。

というのも大抵の作曲家は、いろいろな刺激を取り込みつつも自己の思想信条をコアにして、それを拡大、発散させる形で曲を作っていくのですが、ストラヴィンスキーの新古典主義時代の作品は、他の作曲家の思想信条をコマと見立てて、それを回転させてて作曲しているように思えます。そしてそのコマのまわし方にバリエーションがあっておもしろいのです。

ここに、彼のバイオリン協奏曲があります。

この曲は、非常に変わったスタイルを持っています。
ストラヴィンスキーの説明によると、バロック音楽に敬意を払って作曲したということになっておりますが、果たして、これはどうだか。かなり怪しく、胡散臭いです。でもこの胡散臭さが、この作品の魅力になっています。

 一般の作曲家の場合は、古典の精神を尊敬して曲を書いたとなると、ラヴェル先生のクープランの墓のような作品になるでしょう。つまり古典をベースに独自の視点で洗練していく、あるいはバージョンアップしていくという感覚です。
でもストラヴィンスキーの作曲は、上辺は古典曲の殻をかぶせてあるものの、その中身はまったくの現代音楽になっているというものです。こういう書き方をされているので、最初は驚きます。まるで、おにぎりを食べたのに、その具は生クリームだったみたいな感覚。あるいは人によってはキャビアくらいに感じた人もいるかもしれません。
 
キャビアくらいに感じるには、多くの現代音楽と、ストラヴィンスキーの代表作品、さらにバイオリン音楽の歴史を知っていれば更におもしろいですね。知っていれば知っているほど、とにかくおもしろい曲です。

この曲の非常によいところは、簡潔なオーケストレーションが施されており、バイオリンの動きが良くわかることにあります。それでいて、音色のパレットほ非常に豊富です。現代音楽の中には、バイオリン協奏曲といいながら、ソロ・バイオリン付きの、実際には打楽器交響曲という感じの曲が多いのですけど、
ストラヴィンスキーの場合、ソロ・バイオリンの動きを阻害するパートは、一切削除されており、長髪を散髪したような気持ちよさがあります。これが、バロック音楽から借りてきたスタイルということなんですね。
この点、ビバルディとも良く似たところがあるのですが、特徴的なのは音色パレットの豊富さ。これが現代音楽から持ってきた部分。基本的にバイオリン+他の楽器1種類ずつを合わせていくとオーケストレーションの工夫。これがまたワルツのように踊りのパートナーを変えていくという風でもあり、まるでストラヴィンスキーがみずから踊り手にスポットライトを当てているような感じすらします。もちろん、この踊りは、他の作曲家からこっそり借用して来たものなのですが、堂々とストラヴィンスキー印が入っていることがおもしろい。パガニーニチックなものもあれば、ビバルディチックなものもある。まるで高級品ブランドの某国の偽物商品。それでいて、自作の火の鳥の有名な旋律がちらりと出てくるパロディには思わず微笑んでしまいました。
さて、どこからどこまでが、本物でどこからどこまでが偽物なのか、こうした聴き方というのも面白いものですね。さあ、この曲にはいったいどれだけの作曲家の作品が埋め込まれているのでしょうか。単純にはわからないようにしているところが、ストラヴィンスキーの天才たる所以ですね。
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by ralatalk | 2006-12-28 16:03 | バイオリン協奏曲