人気ブログランキング | 話題のタグを見る

クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

吉松隆vsフォーレ その2

まず吉松隆vsフォーレといっても吉松さんのことを知らない人はおもしろくないでしょうから少し解説しておきましょう。
まず経歴等は、ご本人様のサイトにあるので省略するとして、私が思うところを整理すると以下のようになります。



●評価

アカデミックな評価は、没後100年後くらいに海外文献を参考に後追いの評価を学者さん達がやってくれれば良いのでそちらに任せるとして、現在における評価を私なりにまとめると以下のようになります。

日本の現代音楽界において、ある意味ターニングポイントを設定した人。
簡単に言えば、芸術至上主義のドカチン系現代音楽から、聴衆の好むロマン主義的音楽に視点を置き直させるきっかけを作った人という人になりますかね。まあロマン主義といっても、ショパンやリストといった音楽が、そのまま現代にゾンビのように復活しているわけではないですが、明確なメロディ、リズム、明るい和音をもう一度クラシックの世界に戻したという功績は、大きかったと思います。

吉松隆vsフォーレ その2_b0046888_0474297.jpgそのきっかけとなったのは、1981年2月19日に初演された「朱鷺によせる哀歌」というストリングスとピアノのための作品なんですけどね。当時、私もよく覚えていますが、70年代以降、停滞しまくって悪臭すら放っていた現代音楽の世界に、新しい世界が開けたと思うくらい衝撃的で新鮮なインパクトを与えてくれました。
作品のモチーフとしては、朱鷺という滅び行く鳥の鳴き声を弦楽器のハーモニックスで、鳥の羽ばたきをコルレーニョとボディアタック奏法で表現、中間部では極めて美しい独奏ピアノの広い音程で奏でられる分散和音とクラスター打鍵奏法、後半部では、無数の鳥の鳴き声を表現するために、弦楽奏者のすべてがランダムにアドリブ演奏するというアイデア、どの部分をとっても日本的で美しすぎるクラスターハーモニー。現代音楽の代表的な技法を堂々と使いながら、わかりやすく作られているという奇蹟的な作品です。
 
これは吉松さんの初期の代表作であるばかりではなく、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」くらいの評価を与えてあげてもお釣りがくるくらいの作品でしょうね。
この作品と武満徹、湯浅譲二、松村禎三のオーケストラ作品郡とあわせて、日本作曲界も世界Aランク入り確定という感じで当時私は非常にうれしかったのを覚えています。

他にもオーケストラ曲としては、以下のようなすばらしい作品があって、日本人として誇らしい作品郡があります。ただ、近年の作品は、少しレベルが落ちてきていて、ファーンからも愚痴が多くなって来ているようなんですけど、まあ長い目で見守って行くことにしましょう。

●ギター協奏曲 天馬効果

 ギター協奏曲としては、文句なしに世界1の作品で、吉松さんの最高傑作ですね。私の最も好きな曲の一つということでいろいろな人に聴かせてよろこんでいます。曲のイメージとしては、夜空に駆け巡る天馬という感じで、ジャズぽさも取り入れたとにかく妥協無き「かっこよさ」を追求しているような曲なので、ある演奏家の友人は、「いいところ取り過ぎてずるいぞ!」とか言ってましたね。
 それにしてもこの曲をもってしても「尾高賞」を受賞できなかったのは残念なことですが、それでも当時の私は、「権威主義者たちの最後の抵抗」と思って笑っていました。ラヴェル先生の作品もそうですけど真の作品は、時の権威に認められることはないという典型的な例ですね。

●サイバーバード協奏曲 
 
 これもサックス協奏曲としては、ダントツの世界1の名曲。この作品は世界的なサックス奏者の須川氏の存在が大きいですね。ありとあらゆるジャンルの音楽がごっちゃになっていてとにかく聴いていて楽しい曲です。これもライブで何回か聴きにいっているのですが、ステージの真中に打楽器ソロ奏者をおくという大胆なオーケストラ配置になっていたのはどぎもを抜かれましたね。これがオケの後方にいる打楽器奏者、サックスとの三角配置で、音のやりとりをするというすごく視覚的にも楽しめるので、実際には生で聴いた方がいいですね。
 あと蛇足として、よくこの曲を「ファジイバード・ソナタ」と「デジタルバード組曲」と混同して、「ファジーバード組曲」とか言って間違える人が多いので、しっかりと覚えておきましょうね。テストにでますよ。
※↑ はは~。これって自分のことだったりして。

●交響曲第2番「地球にて」
 
 残念ながら吉松さんの交響曲は、ほとんど駄作なんですけど、ただこの2番は例外。(1番も悪くはないけどね)交響曲というのは緻密な曲構成と論理展開が必須なので、このところは、吉松さんの資質に合っていないというか、日本人の感覚にもなじまないものなんでしょうね。でもこの曲は結構緻密にかかれていて、第一楽章が非常に暗く、第二楽章が薄暗い感じ、第三楽章は、希求する明るさという感じで開放感があってすてきです。
当時、物議をかもしていたのが、最終楽章の最後を調性音楽で締めくくるという現代音楽としては、禁則中の禁則の荒業に出てまして、それに激怒していた作曲家の卵たちを横目でみながら、「そう君たちは古い。後追いの作曲なんて止めようね。」という感じで、当時の私はほくそえんでおりました。アカデミックな人では無理な発想なんですよね。これは。
 それゆえにこの作品に関しては、駄作という人も多いのですけど、同じ駄作でも「勇気ある駄作」と思ってたりもします。

ああ、少しながくなりましたね。次は室内楽に視点をあてなおして、書いてみますか。
by ralatalk | 2005-05-26 15:51 | 邦人作曲家