諸井三郎
2005年 01月 01日
この曲に関しては、少なくとも50回以上は聴いていますが、そのたびに感じることは作品のもつ充実感にあります。曲は、大戦末期に半ば作曲者の遺書のようにして書かれているためテーマ的には重いものですが、いろいろなところで書かれているような暗いというイメージは私にはありません。同種の作品としては、マーラーの交響曲第9番、ブルックナーの交響曲第9番、あるいはバルトークの弦チェレ、オネゲルの交響曲第2番といったものが名作としてありますが、西洋人の考える死生観と東洋人の考える死生観の違いというものがあるのかもしれません。西洋の方は「神との契約を破った人間の対する罪の意識」というものを感じるのですが、東洋的には「死に対する諦観、無常の感覚」というのがあるみたいで、西洋のように救いのない重苦しさというのとは違う作風になっているみたいです。
また、ドイツ系作曲家のように4楽章にしていないという点も各楽章のバランスを考えればいい感じだと思います。よく起承転結というので4つにするのが良いとする説が多いのですが、死に関しては結がないというのも、ある意味哲学的です。
この作品に関しては、よくブルックナーとの類似点を指摘する人が多いのですけど、それは表面的なもので、それを意識しすぎるとこの作品の本質を見失うことになると思います。まだこの作品に関しては隠れている部分も多いので、これから本格的にコンサートでもやってほしいものです。
○各楽章
第一楽章:静かなる序曲
主題の部分が次第に主題の形になっていくという生命の進化をみるような構成になっている部分が面白いですなあ。
第二楽章:諧謔について
ブルックナーの交響曲第9番の第2楽章の鬼の撹乱のリズムによく似たリズム動機が出てきますが、楽曲の終結方法はかなり工夫されたもので、終結はみごとです。
第三楽章:死に対する諸観念
この曲での主題ですね。構成は第一楽章と似ていますが、最後にうっすらとパイプオルガンが鳴るというところに東洋的な救いを感じます。