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クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

ムターの救済:グバイドゥーリナの心象風景

ムターによるグバイドゥーリナのバイオリン協奏曲の日本初演にいってきた。
ムターほどのトッププレイヤーが、クラシックの最新作の初演をやってくれるとは、日本もようやくクラシック先進国と認められたような感じがして、ちょっぴりとうれしい。



4/24(土)
サントリーホール
曲目
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV1041
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92
    グバイドゥーリナ:ヴァイオリン協奏曲「今この時の中で」
    アンコール:J.S.バッハ
    無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番よりサラバンド
指揮
マイケル・フランシシス /東京交響楽団






グバイドゥーリナのバイオリン協奏曲には、随分と前から楽しみにしていた。彼女のバイオリン協奏曲は2曲あり、一曲は、クレメルに捧げられている。そして、もう一曲はムターのためにかかれた。この曲は、CDが発売されているのだが、私は、コンサートの予習はしない主義なので、彼女による初演を待っていたわけだ。

そして本日、聴いてきたが、予想以上に良い曲のように思えた。グバイドゥーリナには、現在のアカデミックな作曲技法の外にある神秘な響きというものがある。絶望の中においてすら希望を見出そうとする宗教的な何かを感じる。グバイドゥーリナのこの曲は、あちらこちらでいろいろなことが発生している。まさにこの世界でおこっているいろいろな事件を写し取っているかのよう。日本に置き換えると、子殺しや虐待、親殺し、無縁社会、鬱病社会、いじめ、学級崩壊、医療崩壊などなど同時多発的に発生するさまざまな事件。海外だとこれにテロや戦争なども加わってくるだろう。

渾沌とした希望なき世界に、ある人が抗議の声をあげたり、警鐘をならす。最初は一人、次に二人となっても無視されていく無数の意志。さらなる不幸が襲い、また声を上げる人がいる。それに同調する人が何人かでてくる。あちらこちらに。それがだんだんと塊になっていき、大きな抗議運動へと発展していく。最高潮に達したと思った矢先に凶弾に倒れ崩れ落ちていく。そして静寂。悲しみのバイオリンの音。こうした風景が繰り返されていく。

何回も失敗し、挫折していくうちに、歴史はかわっていき、新しい方法論が生まれていく。それを支持する人々の声が大きくなっていく。やがて、それが大きな塊になってきたとき、行き着く先の悲劇を暗示するかのような不気味な鼓動が聴こえてくる。「権力に屈せずに前へ進め。進め」といっている感じすらする。最近の事象に置き換えるとタイ国の動乱か。限界ギリギリのそのような状態からピークを迎えたときに、神の声があちらこちらに降り注ぎ、人々は、敵味方の関係なく恍惚とした状態となって、天に召喚されていく。その最後、肉体は滅び、累々とした屍が荒野に残されたままになる。

たぶん、この曲は、死線をさまよってきた人のみが書ける何かがあるような気がする。

曲が終ったときに、ムターには、これ以上の音楽は無用と思っていたのだが、彼女は当然のようにバッハの無伴奏を演奏した。これが実にきまっていた。最後には救いはあるべきなのだと。そのような演奏であった。

女王ムターお疲れさま。そしてありがとう。
by ralatalk | 2010-04-24 23:25 | コンサート