クラシック音楽を中心にしたポスト現代音楽のためのブログ


by ralatalk

合わさずの美学

ヒラリー・ハーンの15日のコンサートを聴きにいきました。今回は美探先生とも一緒です。
来日中のハーンの演奏会のブログを読んでいるのですが、まあすごい数ですね。ほとんどの人が絶賛モードでして、けちをつけるとしたら渋いプログラムであったことと、ピアニストの音量バランスが悪かったというものです。強者は、大阪のおばちゃんで、「この子下手やわ」といって、途中で帰ったというのもありましたが、ある意味、本質をついているところもあり、おもしろく読ませてもらいました。
大体、芸術に100%完璧というのはありえないし、そうであるならば、どこか間違ったところがあるのだ、私は思っています。



まずは、プログラムから。今回は以下です。

[出演]
ヒラリー・ハーン Hilary Hahn (ヴァイオリン/Violin)

ヴァレンティーナ・リシッツァ Valentina Lisitsa (ピアノ/Piano)

【公演日程】 2009年1月15日(木) 19時開演
【会  場】 東京オペラシティ コンサートホール

[曲目]
  1. イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番
    Ysaye: Sonata for solo violin No. 4

  2. アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第4番「キャンプの集いの子どもの日」
    Ives: Sonata for violin No. 4, ""Children's Day at the Camp Meeting,""

  3. ブラームス:ハンガリー舞曲集より
    Brahms: Hungarian Dances

  4. アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第2番
    Ives: Sonata for violin No. 2

  5. イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番
    Ysaye: Sonata for solo violin No. 6

  6. イザイ:子どもの夢
    Ysaye: Children's Dreams

  7. アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第1番
    Ives: Sonata for violin No. 1

  8. バルトーク:ルーマニア民族舞曲より
    Bartok: Romanian Folk Dances for violin & piano

    ※アンコールはパガニーニのカンタービレとブラームスのハンガリー舞曲の有名な曲


さて、今回、特徴的であったのは、ピアニストのヴァレンティーナ・リシッツァです。この人の弾き方については、各コンサート・ブログでは、否定的な意見が多かったのですが、私は、この人には「天から与えられた才能」があると思いました。このまま、育ってくれれば、アルゲリッチを越えるカリスマをもつことができるだろうと思いましたし、実際に、肩の方から、ちかちかとする赤いバラのようなオーラがみえました。ヒラリーのオーラもみようとしたのですが、こちらは見えなかったです。

この人のすごいところは、相手がヒラリー・ハーンであろうとも臆せず、攻めの弾き方を貫いていたことと、自分の音楽を相手に合わせにいっていないところです。攻めの弾き方というと乱暴な弾き方をしているような印象を与えますが、この人のピアノは、デリケートな部分もあるし、音色感が多彩であり、ダイナミックレンジも広く、表現がのびのびしていて、あたかも自然のまま弾いているという感じです。乱暴にいうなら野生のままのピアノ。この天性をもっているピアニストは、私の知っているかぎりでは、アルゲリッチと高橋悠治のみです。

この合わせに行かないというところに、両者のバトルの醍醐味がある感じました。
特に、ブラームスの普通の演奏では、ピアニストがバイオリニストに合わせにいくのですけど、まったくその気はなし。リシッツァは己の音楽を貫きます。ハーンはそれに引きずられ気味。なんともちぐはぐな演奏。ここで大阪のおばちゃんは、下手だと思って帰っちゃったのでしょうね。わかる気がします。

でも、深遠なハーンのこと。ここでは大胆な実験をやっていたのですね。

ハーンの今回のターゲットは明らかにアイヴズにあります。アイヴズは、今までのクラシックの作曲家の演奏方法や聴き方では通用しません。私は、正直、彼の音楽は理解していないのですが、バイオリンソナタのイメージはこうです。

ある人は、公園で遊ぶ子供たちのことを語り、別の人は、教会での祈りを聴いたり、人混みの中を進んで、目的地へ行こうとする人もいれば、それをさけて、川沿いの土手道をのんびり歩いたり、橋を渡ったり。公園で昼寝して、上を見れば、高いビルがあったり。見とれていると、クラクションを鳴らす車やバスが通ったり。19世紀〜20世紀はじめのアメリカの都市の風景。朝の風景もあれば、昼や夕方、夜の風景もある。そんな変化をあるがままに書いている曲だと思います。
都市の人々も、車やバスもその行動自体に何の連帯性もないのだけれども、都市の秩序は存在する。そうした光景をみて、都市が息づいていると感じる人もいれば、気づかない人もいる。

こうした事象を表現する手段としての合わさない美学。合わさないことによる自由。束縛からの解放感というものを導入したと思うのですね。

1874年生まれの作曲家ですか。こうした発想は、とてもマーラーと同じ時代を生きていた人とは思えないくらい大胆。時代の先を行っています。私は、バルトーク以降の作曲家と思っていたのですけど、意外な気がします。

というわけで、秀逸だったのが、ヴァイオリン・ソナタ第2番の演奏。ヒラリー・ハーンとヴァレンティーナ・リシッツァの合わさない戦略の高度な演奏によって、はじめてこの曲のよさがわかりました。なるほど、なるほどおもしろい。もともとこうした曲というのは、音楽マニアよりも、美術や映像が好きな人達によって評価されてきたと思うのですけど、イメージできるセンスが重要。ピカソというよりも、ルソーの絵に近いものを感じますね。

でブラームスは、たぶんアイヴスの視点からみた演奏ということになりますかね。
これは、ヴァレンティーナの個性によるものと考えていましたが、後半のルーマニア民族舞曲で待てよという感じになり、アンコールのハンガリー舞曲でまともなバランスのとれた演奏をヴァレンティーナがやっていることで気づきました。「激流を制するのは静水」。音楽を支配していたのは、やはりヒラリーということでしたか。お釈迦さんの上の孫悟空だったのだなあ。私は。憎い演出にのせられてしまいました。

ヒラリーという人は、自分の演奏というものをかなり客観的に分析できていますね。自分にない物は、外から取り入れる貧欲さがあります。プロデュースの才能もあるのかもしれません。ということで、これからもおもしろいプログラムに期待しています

●ご参考:
バイオリンという楽器は、恐ろしいくらいに奏者の考え方を反映する楽器です。以下のインタビュー記事は、この演奏会の後に知ったのですが、まさに私がそう考えていた通りの音楽になっており、不思議な感じがします。

ヒラリー・ハーンによるプログラムノート 第1回

ヒラリー・ハーンによるプログラムノート 第2回
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by ralatalk | 2009-01-16 00:37 | コンサート